盛岡城郷土舘建設計画書 [幻の盛岡城]
図書館には寄贈された書籍やらパンフレット、果ては絵葉書(それも1枚だけのもの)まで、沢山のものを館外貸出し不可ではありますが閲覧できる場所があります。そんな場所で、ちょっと驚きの物を見つけました。
それが、題名にもなっているパンフレットです。恐らく、資金集めのために作られたものだと思いますが、本当に計画だけはあったんだなぁと感心してしまいました。
それで、このパンフの図を、模写したのが下のものです。
いったい何処に建設するつもりだったんでしょうね。本物の盛岡城は3層櫓ですし、図面に石垣が描いてあるので、元からある石垣を使つつもりは無かったのかもしれません。しかし、このパンフで発言している人で、「電車から見える城云々」と言っている人がいたので、石垣を改造する予定だったのかもしれません。もっとも、これはこの時代だから出来た話で、今は、3層櫓の図面でも見つからない限り、復元はムリですね。
このカテゴリーでは鳥瞰図としてこの復元盛岡城(盛岡の久保田城或いは横手城)を描いていきたいと思います。
2007-01-30 17:38
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コメント(2)
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>「盛岡城郷土舘建設計画書 」
これは何年頃のものでしょうかね?バブルの頃までは全国にとんでもない天守風建造物が結構造られてしまいました。遺構をぶっ壊してまで作られてしまったところはご愁傷様ですので、そうならなかっただけ良かったですね。
私の東京の高校時代の友人が岩手大学を出てそのまま現在も盛岡に住み着いています(konatuさんのブログに親しみを感じる理由のひとつかも)。彼の大学時代のエピソードですが、もう30年も前のこと、小岩井農場で行われた祭りの中で大声を出すコンクール(?)があって、なんと彼が優勝したらしいのです。1等賞の商品は牛1頭、その後1年間(?)小岩井農場で肥育されて、肉になった時点で彼の元に届いたそうです。小岩井農場の羊囲いの石垣の話でそんなことを思い出しました。
by ひづめ (2007-01-30 20:54)
次回の更新でも書く予定ですが、このパンフでは昭和40年代中頃迄には完成を
目指していたものと思われます。
後に名称を復元から、郷土舘建設に変えているのはなんでなのかなぁ?と思いま
す。
by konatu (2007-02-01 08:41)